三次元的な姉の付き合いについて

姉は、見た目に対して、コンプレックスだった。

 

わたしは、姉と比べると、痩せてる体質で、二重だったので、おしゃれしてれば、モテたほうだ。

自分を着飾るなど、よく見せるのが得意だったせいもある。

 

そんなわたしに対して、姉はわたしに敵対心が芽生えていったようだ。

わたしの気にしてるところを、即座に見抜き、そこを徹底して攻めて、自信を無くして、肯定する気持ち萎えるやる。見えないものがわからないようでも、そこをよくわかっているようだった。

わたしも、肌で感じるほうかので、そこまてやって気が済んだのかと思うと同時に、相手の思うツボになるればいいんだろうと思ってしまう。

こんなに痛めつけ、わたしが悪くなる様子を見て、気がすむだろうと。

姉は、そんなわたしのことなんか、知らないとふっきり、優しい気持ちなどないようだった。

そうか、わたしが幸せじゃないほうが嬉しいんだな。と思う。

そんな人が、経済的にも安泰でいられる現実。

 

そういう人だから、この世の幸せを勝ち取れる。それが三次元。

 

わたしは、四次元、五次元へ向かうところだ。

引きこもりも飽きるのね

この重い重力に、抑えつけられてるいるかのように、行動するという軽快な気持ちも起こらない。

行動すれば、何か見えてくる。

嫌なこと、苦手なこと、もちろんある。

実は、嫌なこと苦手なこと、辛いことから、学ぶことや気付きがある。

 

家にずーといたけど、毎日同じでなにも起こらない。考えることも、停滞して堂々巡りなのもわかってた。

動かなければ、思考も全て、堂々巡りなんだな。嫌なことは特別ない分、とても辛いのは何故だろう。

 

動きだすことなんだ。

それはわかってる。

それができない

傷つくのが怖いからだ。

 

引きこもってわかったが、傷着いたからと言って、殺されるわけではない。

自分が、言われたことを受け入れなければいい。人から見られることを意識せず、ありのままに生きればいいのかもしれない。

潜在意識に狂わされているのか

恐れを引き寄せていた。

 

私は、奥底で、肌の異変による恐怖を感じていた。

東洋医学によるエステで、顔全体にボツボツができて、気持ちも落ち込みブスと言われるようになった。

これが、悪い転換期だって。

 

 

私は、一人で生きていくという恐怖に怯えていた。

⇨50歳に入って、結婚したこともなく、一人で生きてる

 

 

私は、人に嫌われるという恐怖に怯えていた。

⇨会社では、嫌われて追い出されている。

 

 

私は、誰にも頼れない、お金がない恐怖に怯えていた。

⇨夫もパートナーも居なくて、誰も頼れない

 

これは、全てカルマなの?

 

私は、前世で悪いことをしたのか?

潜在意識から、恐怖が湧いてきた、それに取り憑かれてきた。

⇨これにより、マイナス思考に陥り、引き寄せてきた。

 

人にはわからない悩み、相談しても鼻で笑われる

人の中に紛れても、私は目立つ。

普通?のおばさんなんだけど、

目立つようだ。

私を見ると、違和感感じるみたい

勘が鋭い人は、なんかやだという。

日に日に、私の存在が嫌になるようだ。

私がそこにいるだけで、嫌みたい。

何もしなくても、発言しなくても

私が嫌がられないように、そっとそこにいるだけで、私を嫌だと騒ぎだす

何もしてないのに、何も発言してないのに、人の嫌がることも、個性の強いこともいってない。大人しくそこにいるだけなのに、嫌だと騒ぎ、追い出そうとする

私がいては迷惑なんだと、そう思って、そこかれはなれたくなる。けど、仕事だし、やめてしまえば、まと露頭に迷うだけ。私は、何かしわけでも、なにをしたくわけでもなく、私の存在が嫌なようだ。

 

私だって、そんなに毛嫌いされたら、そこにいたくない。でも、仕事をしないと、いきていけない。

でも、嫌だという人は容赦しない

私の事情など御構い無しに、嫌だから、変えろという勢いだ。

多数決で、みんなが嫌なんだから、迷惑ですという言い分らしい。

私は、頑張って這いつくばって、知らないふりして、悲しくなれば、わからないように涙を流し。

人に気を遣い、優しくいようと奮い立たせ、そのうち私の身体と心が、ヒーヒー言って、限界になる。

そんのパターンを繰り返し生きている。

職も安定しないから、お金もたまらない。

 

会社やめるにしても、弱みを見せず、強がって、辞めていく。

 

 

私は、何者なのだろう

この地球では、受け入れなれないオーラかなにか纏ってるのか。

 

早く死にたいと思って生きてる

自死する勇気もない私。

お腹が腫れて痛くても、そのまま病気で死んでしまいたいと思って生きてる。

 

死んでもこんな状況で、ただ魂がプカプカ浮いて成仏できないのは、嫌。

 

花園のあるいい香りが漂う、ほんわか気持ちよくて、いつも幸せな気持ちでいられら夢の国へ移行したい。

話せない子供時代

内弁慶ともいうのか、家族とは話せた子供時代。

 

家族以外になると、話せなくなる。

声が出せない。こころなかは、こんな自分が嫌い嫌いで受け入れなれなかった。

こんな弱虫な自分じゃないと認めたくなかった。

ほかの子供のように、言いたいことを言いたいし、天真爛漫に子供らしくいたかった。

 

幼稚園児なのに、人を客観的に見ていた。お遊戯ができなかった。恥ずかった。

 

 

人間が怖かった子供時代

2015年4月17日に、私は目醒めた。

目醒めとは、なんだろうか

操り人形だったことに気がつくこと。

ずーと知りたかった私という人物について

少しだけ、解明できることでもある。

幼稚園に行き始めてから、私は人と違うこと。

異常に人が怖かったこと

人が凶暴に感じていた。

幼稚園のときは、お友達と遊ぶとかできなくて、一人でポツンとしていた。

ポツンとしていてほうが楽だったから、周りの大人たちが、その子の個性を大切してくれていたことに感謝している。なぜこの子は人と遊ばないのかと真剣に悩まれていたら、私という存在が否定されたようで、それに意識して生きるようになるからだ。

今、振り返ると、小学校の先生にも感謝している。不思議な子供だったのだろう。

内気な子だと思って、接してくれたのだとおもう。